チンのウバ塚

古陶星野焼展示館のすぐ近くに位置するチンのウバ塚は、積石塚と呼ばれる墳墓で、人頭大の川原石を積み上げて造られています。昭和36年(1903年)9月に地元有志によって発掘されました。その際に、「海獣葡萄鏡[カイジュウブドウキョウ]」二面と銅製の簪が出土しています。「海獣葡萄鏡」は中国唐時代を代表する銅鏡です。海獣とは、クジラやラッコといった海の哺乳類ではなく、「海外の獣」を意味します。実際、鏡中央の鈕[チュウ](紐を通す突起)を中心に、ライオンのような獣が様々な姿で表現されています。また、葡萄は、豊かな実りを象徴する植物であり、多産と豊穣をもたらすものとして描かれています。出土した二面のうち、一面は白銅製・径9.9㎝の舶載鏡(中国で製作され日本に伝来した鏡)、もう一面は青銅製・径12.2㎝の仿製鏡(中国鏡を模倣して製作された日本製の鏡)でした。これらは東京帝室博物館(現在の東京国立博物館)が四拾圓(80万円程)で買い上げています。なお、海獣葡萄鏡とともに出土した銅製の簪は、所在不明となっています。

墳墓の築造年代については、平成2年(1990年)11月に行われた調査の結果、平安時代初頭前後(八世紀前半)と推定されました。被葬者は、「大伴部博麻[オオトモベノハカマ]」だと考える説があります。博麻は筑後国上陽咩[カミツヤメ]郡出身の兵士で、斉明7年(661年)の百済の役に出兵した際に唐軍の捕虜となり長安へ送られました。博麻は長安で、唐が日本侵略を計画していると知ります。これを日本に伝えようとしましたが、衣服も食糧もないため帰国することができませんでした。そこで博麻は、同じく捕虜となった仲間にこう伝えました。「願う、我が身を売りて、衣食に充てよ」。博麻は自らを奴隷として売り、仲間の帰国資金としたのです。結局、博麻が帰国を果たしたのは、約30年後の持統4年(690年)のことでした。チンのウバ塚から出土した白銅の海獣葡萄鏡は、博麻帰国の際、その愛国心を賞賛した唐朝から下賜された鏡だと考えられています。

Last Updated:
2022-06-20
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